大人男子の趣味教養OTONA DANSHI NO SHUMI-KYOYO

FASHION連載「服の教養」第3回

ConverseからDr. Martensまで——靴で、どんな人に見えるのか——Converse、Vans、Nike、adidas、New Balance、ASICS、Dr. Martens

街でよく見る七つの靴のブランドが、何から始まって、どんな文化と結びつき、いま履いているとどんな人に見えるのか。

公開 2026.09.01最終確認 2026.09.01
この連載の目次(全7・完結
  1. 01ファッションとは、自分をどう見せるかである
  2. 02UNIQLOからSupremeまで——ブランドは、どんな人の服なのか
  3. 03ConverseからDr. Martensまで——靴で、どんな人に見えるのかいまここ
  4. 04BEAMSはブランド? セレクトショップ?
  5. 05アイビー、軍物、ワーク、ストリート——服に残る文化
  6. 06色とシルエットは、人物像をどう変える?
  7. 07その服で、どこへ行き、誰と会うのか

靴のブランドは、いまとは違う目的で始まっていることが多い。ゴム長靴の会社、工場の直販店、足を支える中敷きの会社、軍医が自分のために作った療養靴。そこからどんな文化と結びつき、いま履いているとどんな人に見えるのかを、七つ並べて見ていく。

CONVERSE

Converse——競技から外れて、街の定番になった

1908年、マサチューセッツのゴム靴の会社として始まった。雪と湿地の多い土地で長靴を作っていて、冬以外の売上を埋める商材として、1917年にバスケットボール用の靴を出す。名前になっているチャック・テイラーは営業と巡回コーチを兼ねた人物で、靴を設計した人ではない。

1960年代には競技用の主流だったが、1970年代に革と新素材を使う他社に抜かれて競技から外れる。そこから広まったのは街のほうだった。安く、丈夫で、誰でも履ける布の靴として、パンクにも、グランジにも、路上にもスケートにも履かれていく。一つの場所から広まったのではなく、別々の場所で別々に選ばれた。

赤いコンバース オールスターのローカットのペア。白い靴紐と金属のハトメ、つま先の白いゴム、側面を一周する白いテープ
オールスターのローカット。つま先の白いゴムと、側面を一周する白いテープ。色が変わっても、この部分は共通しているPhoto: Rachmaninoff / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0リサイズ

音楽やスケートとの歴史を持ちながら、いまは特定の趣味に限られない定番になっている。気取らないカジュアルを自然に着ている、という見え方に近い。→ 図鑑で詳しく

VANS

Vans——スケートの現場から出てきた

1966年、カリフォルニアで開いた工場直販のゴム靴屋が始まりだ。特定の競技のための靴ではない。その日のうちに作って渡し、客が布を持ち込めばそれで作る、という近所の店だった。

転機は1975年に来る。地元のスケーターから、滑るための靴がほしいという求めがあった。トニー・アルヴァとステイシー・ペラルタが色や仕様に関わり、翌年に出たエラが最初のスケート専用の型になる。市松模様も、子どもたちが靴の白いゴムの側面に描いていた市松を、会社が布地の柄として製品にしたものだ。街で起きたことを、会社が製品へ戻している。

スケートの外へ名前が届いたのは1982年で、映画『初体験リッジモント・ハイ』で市松模様のスリッポンが使われたことがきっかけだった。スケートボードの上で使われてきた靴だという来歴は、いまも履いたときの雰囲気に残っている。履いていると、格好が少しラフに見える。→ 図鑑で詳しく

NIKE

Nike——バスケットとストリートを背景に持つ

1964年、陸上のコーチのビル・バウワーマンと教え子のフィル・ナイトが、ブルーリボンスポーツという会社を始めた。最初の仕事は日本のメーカーのランニングシューズを輸入して売ることで、その仕入れ先が、のちのアシックス——当時のオニツカである。1971年、自社の靴にNikeの名を使い始める。

街の側へ出たのは1980年代のバスケットボール経由である。マイケル・ジョーダンと契約し、その名を冠した一足を出す。会社は当時の広告で「リーグが禁止した靴」という物語を前に出した。

同じころ、ニューヨークでは白いエアフォース1がヒップホップの現場で履かれるようになる。もう一方では、大学バスケット用のダンクが1990年代に競技から外れて安売り店へ流れ、それをスケーターが拾った。バスケットボール、ヒップホップ、スケート。街での履かれ方は、この三つが重なるところで育っている。

その背景は、いまも見え方に残っている。白いエアフォース1は革の面が広く、側面の曲線のマークも大きいので、足元にはっきり存在感が出る。スポーツとストリートの文化を感じさせる足元になる、というのがこのブランドの見え方だ。→ 図鑑で詳しく

ADIDAS

adidas——競技用の形が、きれいめの足元に

1924年、ドイツの町で兄弟が始めた靴工場が出発点だ。作っていたのは陸上競技用のスパイクで、1936年のベルリン五輪では、四つの金メダルを取ったジェシー・オーエンスがこの工場の靴を履いている。戦後、アディ・ダスラーが自分の名から取った現在の社名を名乗る。そこからサッカーへ広がり、三本線は遠目にもこのブランドだと分かる目印になっていく。

1986年、ニューヨークのRUN-D.M.C.が「My Adidas」という曲を出す。彼らはスーパースターを愛用していて、紐を抜き、ベロを出して履いていた。ライブで観客が靴を掲げる場面を見た会社の重役が動き、スポーツブランドとして初めて音楽の担い手と契約する。

adidasの黒いサンバの真横。側面に銀の三本線とSAMBAの金文字、タンにトレフォイルのラベル
サンバ。つま先にT字の革が貼られ、側面には三本線が入る。底は薄く平たいPhoto: Pangalau / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0リサイズ

音楽との縁は太いが、いま街で履かれている中心はスタンスミス(テニス用)とサンバ(サッカーの練習用)だ。どちらも装飾が少なく、すっきりした見た目をしている。競技のために作られた定番を、そのまま普段の格好へ持ってこられる。スラックスやジャケットの足元にも収まる。→ 図鑑で詳しく

NEW BALANCE

New Balance——履き心地で選ばれてきた

1906年、ボストンで足を支える中敷きを作る会社として始まった。扁平足の人のためのアーチサポートが最初の商品で、売り先は立ち仕事の人たちである。そこからランニングシューズへ広がり、1960年に出たトラックスターで足の幅のサイズ展開を始めた。走るために作られ、履き心地で選ばれてきた靴である。定番の灰色も、路面になじむことと汚れの目立ちにくさから選ばれた実用の色だ。

日本での見られ方は、この二十年で変わった。2000年代には、ランニングやウォーキングの実用品という印象が強かった。

いまはそこが動いている。スラックスに合わせる例も増え、普段着にも、きれいめの格好にも入るようになった。履き心地で選ばれてきた靴が、落ち着いた普段着の一部として選ばれている。灰色の目立たない見た目も、そこに合っている。→ 図鑑で詳しく

ASICS

ASICS——走るための形が、そのまま街へ

1949年、鬼塚喜八郎が神戸で靴の会社を始めた。最初の製品はバスケットボール用の靴で、床で滑らないための道具として作られている。1977年に社名がアシックスになった。

2000年代には、部活で使う実用的な靴という見方が強かった。街の側からの再評価が来たのは2020年代である。中心にあるゲルカヤノ14は、2008年に出た同名のランニングシューズをもとにした、街で履くための復刻モデルだ。当時の靴そのものではなく、甲の部分の素材と足の収まりが作り直されている。

切り替えの線が何本も走り、底は前後で段になっている。銀と白が中心なので、色としては強く出ない。落ち着いた服に、走るための形をそのまま合わせている。色を抑えたまま、足元だけ現代的な形を取り入れている見え方になる。→ 図鑑で詳しく

DR MARTENS

Dr. Martens——英国の作業靴から、音楽の現場へ

1945年、ドイツの軍医クラウス・マルテンスがスキーで足首を傷め、自分のために作り直した療養用の靴が始まりだ。空気を含んだソールで、足に優しい。ブランドの名前は、この人物の名を英語風に読んだものである。

英国へ渡ったのは1959年。英国の靴メーカーがかかとの形を作り直し、黄色いステッチを足して、翌年に八つ穴の編み上げブーツを出した。最初の顧客になったのは、郵便配達員と警察官と工場労働者である。つまり英国での出発点は働くための靴だった。1960年代の終わりから労働者階級の若者たちのあいだへ入り、そのあとパンクにも、グランジにも履かれていく。

その来歴は、いまも見え方に残っている。街ではカジュアルにもきれいめにも合わせられているが、それでも「音楽やカルチャーが好きそうな人」に見える。服そのものは普通のままで、足元だけがその印象を作る。→ 図鑑で詳しく

次回

七つを並べると、いまの姿からは想像しにくい出発点ばかりだと分かる。そして、そのあとに結びついた文化が違うぶん、履いたときの見られ方も違ってくる。第4回では、その服と靴を並べている店のほうへ移る。BEAMSは店なのか、ブランドなのか。