この連載の目次(全8回・完結)
- 01浅草寺の隣に、なぜ浅草神社があるのかいまここ
- 02八幡・稲荷・天神は、なぜ全国にあるのか
- 03京都の歩き方
- 04寺で何をしているのか——坐禅・念仏・密教の儀礼
- 05仏像の見方——如来・菩薩・明王・天部
- 06御朱印の読み方
- 07鎌倉と奈良を、半日ずつ歩く
- 08もう一度、浅草を歩く
雷門をくぐり、仲見世を抜け、宝蔵門の先の本堂へ。そこを出て東へ曲がったすぐ先に、浅草神社の鳥居が立っている。寺の境内を出てすぐ、神社が建っている。
川から上がった観音像
伝えられているのは、628年の出来事である。いまの隅田川のほとりに住んでいた二人の漁師が、川で網を打っていた。その網に、一体の像がかかった。
二人は像を水に戻し、場所を変えて何度も網を打った。しかしそのたびに同じ像がかかるばかりで、魚は一匹も捕れなかった。二人は、その像を持ち帰る。
像を見たのが、この土地をまとめていた人である。それが観音像——正式には聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)——だと知ると、自分の家を寺に改めて祀り、以後の生涯をその供養に捧げたと伝えられる。浅草寺の始まりは、一人の人が自分の家を寺にしたところにある。
その像は、いまも本堂の奥にある。ただし姿を見ることはできない。秘仏として納められたまま、公開されないからだ。

参道は雷門から仲見世を通り、宝蔵門を抜けてまっすぐ本堂へ向かう。浅草神社は、その本堂を出て東へ曲がった先にある。
三人が、隣の神社に祀られた
この三人——像を引き上げた二人の漁師と、寺を始めた土地の有力者——が神として祀られたのは、ずっと後の時代である。
三人の名前は伝わっているが、寺と神社で表記が少し違う。浅草寺の縁起では檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)の兄弟と土師中知(はじのなかとも)。浅草神社の由緒では檜前浜成・武成と土師真中知とする。同じ出来事を、二つの由緒がそれぞれの形で伝えてきた結果である。
浅草神社に伝わる話では、寺を始めたこの人の子孫が夢のお告げを受けたという。観音堂のそばに親たちを神として祀れば、子孫も土地も末永く栄えるだろう——そう告げられたことが、この社の起こりとされる。旧称を三社権現社(さんじゃごんげんしゃ)といい、三人を祀るので、いまも地元では「三社さま」と呼ばれている。
正確な創建の年は、分かっていない。 浅草神社自身が、創建年代は不明としている。628年から寺と神社が並んで建っていたわけではない。 寺が先にあり、その始まりに関わった三人を祀る社が、数百年のちに建てられた——順序はこちらである。
いまの感覚では、寺のすぐ隣に神社があるのは奇妙に見えるかもしれない。しかし昔の日本では、神と仏が同じ場所で祀られることが各地にあった。神社の境内に寺が建てられたり、神の背後に対応する仏を置いたりする。こうした結びつきを神仏習合(しんぶつしゅうごう)という。浅草の場合は、寺の始まりに出てくる人を神として祀るという形をとった。

明治に分けられても、建物は隣に残った
長く続いたこの結びつきは、明治に入って断ち切られる。
明治政府は、寺と神社を制度として分ける方針を打ち出した。 一体で営まれてきた社寺はそれぞれ寺と神社に分けられ、名前や祭りのやり方も改められていく。
浅草の社も、その中にある。明治元年、社名が三社権現社から三社明神社へ改められ、明治6年に「浅草神社」の名に定められた。 いま社頭に掲げられている名前は、このときのものである。
つまり、いまの「寺は寺、神社は神社」という線引きは、制度としては明治以降のものだ。それ以前の社寺の関係は、場所ごとにもっと多様だった。
ただし、分けられたあとも建物の位置は動かなかった。浅草寺の本堂と浅草神社の社殿は、いまも境内を接して隣り合っている。
いま、現地で見るもの
大きな提灯の下がる雷門をくぐると、土産物と菓子の店が並ぶ仲見世が続く。その先にもう一つ門があり、正面が本堂、左手に五重塔。ここまでが浅草寺だ。本堂を出て東へ曲がると、浅草神社の鳥居が見える。
浅草神社で目を向けたいのは、社殿そのものの古さである。現在の社殿は、1649年、三代将軍徳川家光の寄進によって建てられた。火災も戦争も関東大震災も免れて残り、国の重要文化財に指定されている。浅草の街も浅草寺の本堂も近代に何度も焼けたなかで、この建物は江戸初期の姿を伝えている。
見えるのは、屋根と軒下だ。瓦屋根が段になって連なっているのは、拝む場所と神をまつる場所を渡り廊下でつないだ権現造(ごんげんづくり)という形による。そして軒の下に、彩色された板がはまっている。朱塗りの柱の上あたりを見上げると、金と緑の絵が横に並んでいるのが分かる。
毎年5月の三社祭は、この浅草神社の祭礼である。

次に見るのは、なぜ同じ名前の神社が全国にあるのか——八幡、稲荷、天神。第2回では、それぞれの信仰がどこから、どんな仕組みで各地へ届いたのかをたどる。