この連載の目次(全8回・完結)
- 01競馬は、馬券を買わなくても面白い
- 02日本ダービーと有馬記念は、何が違うのかいまここ
- 03逃げる馬と、追いかける馬
- 04血統の話で、なぜ父の名前が出るのか
- 05一頭の馬を、何人が走らせているのか
- 06東京と中山では、レースの見え方が違う
- 07名前だけでも通じる名馬たち
- 08最終回——2023年ジャパンカップを、最初から最後まで見る
日本ダービー、有馬記念、天皇賞は、それぞれ別のレースの名前である。そのうち、JRAが最も重要な格に位置づけるレースにはGⅠ(ジーワン)という格付けが付く。GⅠはレースの総称や名前ではなく、重要度を示す等級である。日本ダービーと有馬記念はどちらもGⅠだが、日本ダービーは初夏、有馬記念は年末のレースとして知られている。
等級が同じでも、何を決める一戦なのかは同じではない。四つ挙げる。
日本ダービー——一世代につき、一度だけ
日本ダービーの正式名称は東京優駿という。5月末から6月はじめの日曜日、東京競馬場の芝2,400メートル。出られるのは3歳の馬だけで、3歳の一年は誰にとっても一度しかない。だから、前の年に勝った馬が連覇することも、翌年に雪辱することもない。
初開催は1932年、目黒にあった東京競馬場だった。1934年、3回目から府中の現在地に移り、以降は距離も競馬場も一度も変わっていない。

ウオッカと四位洋文2007年5月27日、第74回東京優駿当日の東京競馬場
Photo: Goki / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0(元画像が小さいため560×383から拡大せず、WebP変換のみ、トリミングなし。)
2026年で第93回。1932年から数えて2回だけ、戦中戦後に行われなかった年がある。それを除けば、90年以上のあいだ同じ場所の同じ距離で、一年にちょうど一世代ぶんだけ勝者が決まってきた。第1回で見た2022年のように、決着がごくわずかな差になることも多い。
有馬記念——出走馬を、ファンが選ぶ
有馬記念は12月末、中山競馬場の芝2,500メートル。JRA公式がその沿革を「暮れの風物詩として親しまれ」と書く一戦である。
このレースの特徴は距離でも季節でもなく、出走馬の選ばれ方にある。第2代理事長の有馬頼寧が提唱したとき、その出走馬はプロ野球のオールスター戦のようにファン投票で選出し、ファンがより一層競馬に親しみを感じるレースにする、という趣旨が掲げられた。1956年に中山グランプリとして始まり、翌年から有馬記念という名になった。有馬頼寧はその年の1月に亡くなっている。

中山競馬場2024年1月28日。開催のない日のスタンド
Photo: モトテツ / Wikimedia Commons / CC0 1.0(WebP変換と縮小のみ、トリミングなし。)
コースも、東京とはずいぶん違う。最後の直線は310メートルしかなく、そのゴール前に高低差2.2メートルの急な上り坂がある。JRA自身が、外側を回る有力馬に対して内側を突く馬が台頭する余地が生じる、と書いている。短い直線と急坂で、着順が動きやすいということである。
有馬記念には、ファン投票で支持を集めた馬を優先して出走させる仕組みがある。ただ、以前は早い段階の登録だけでも優先枠の対象になれたため、最終的には走らない馬が含まれる余地があった。JRAは2026年から、実際に出走を申し込んだ馬の中で、ファン投票の上位馬を優先する方式へ変更した。
当初の性格からのずれもある。「一年の総決算」として始まったが、2024年はレガレイラが3歳のメスの馬として64年ぶりに勝ち、2025年も3歳馬が勝った。
天皇賞——春と秋で、別のレースになっている
天皇賞は、名前が一つなのに中身が二つある。
現在の天皇賞は春と秋に一度ずつ行われ、春は3,200メートル、秋は2,000メートルを走る。一度優勝した馬も、条件を満たせば再び出走できる。
以前は、一度勝った馬が次から出られない「勝ち抜き制」だったが、この制度は1981年に廃止された。秋の天皇賞も、以前は春と同じ3,200メートルだったが、1984年に2,000メートルへ短縮された。
起源はさらに古い。1905年、横浜の日本レースクラブが明治天皇から贈られた銀製の花器を賞として行った競走にさかのぼる。1937年から春と秋の年2回になり、1947年から天皇賞という名になった。
ジャパンカップ——海外の馬を招くために作られた
ジャパンカップは11月末、東京競馬場の芝2,400メートル。1981年に、世界に通用する強い馬づくりという方針を受けて創設された国際招待競走である。
初年度に何が起きたかを、JRA公式はこう書いている。アメリカのメアジードーツが2分25秒3という当時としては驚異的なレコードで優勝し、日本馬との実力の差を見せつけられた、と。
そこから40年余りで、立場は入れ替わった。2019年には創設以来はじめて、海外から来た馬の出走が0頭になっている。招くために作ったレースに、招かれる側が来なくなった。
ただしそれも固定ではない。2025年はフランスから来たカランダガンがコースレコードで勝ち、外国馬の勝利は20年ぶりだった。この連載の最終回で扱うのは、その二年前のジャパンカップである。