この連載の目次(全8回・完結)
- 01競馬は、馬券を買わなくても面白い
- 02日本ダービーと有馬記念は、何が違うのか
- 03逃げる馬と、追いかける馬
- 04血統の話で、なぜ父の名前が出るのかいまここ
- 05一頭の馬を、何人が走らせているのか
- 06東京と中山では、レースの見え方が違う
- 07名前だけでも通じる名馬たち
- 08最終回——2023年ジャパンカップを、最初から最後まで見る
競馬の話を聞いていると、そのレースに出ていない馬の名前が出てくる。「父が○○だから」「母の父が○○なので」。走るのは目の前の一頭なのに、なぜ親の名前が引き合いに出されるのか。
理由のひとつは単純で、親の成績が公開されているからである。まだ走った実績のない若い馬について何か言おうとすると、手元にある材料は親が誰かと、調教の様子くらいしかない。
もうひとつは、実際に似ることがあるからだ。ただし、どのくらい当たるのか。同じ父と母から生まれた兄弟に、ちょうどよい例がある。
同じ父と母、同じ持ち主、同じ調教師、違う結果
ブラックタイドは2001年生まれ、父はサンデーサイレンス、母はウインドインハーヘア。
ディープインパクトは2002年生まれ、父サンデーサイレンス、母ウインドインハーヘア。
同じ父と母である。生まれた年が一つ違うだけの兄弟で、しかも持ち主も、生まれた牧場も、預けられた調教師も同じだった。同じ人たちが、同じ場所で、二頭を育てている。

ディープインパクト2009年8月13日、北海道の社台スタリオンステーション
Photo: Goki / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0(WebP変換と縮小のみ、トリミングなし。)
二頭とも、走り出す前から高く評価されていた。先に生まれた兄のほうが、むしろ期待は大きかったと伝わっている。
走ったあとの記録は、こうなった。兄のブラックタイドは3歳の春にスプリングステークスを勝ち、その後も長く走って22戦3勝。弟のディープインパクトは13戦12勝で、3歳の馬が挑む三つの大レース——皐月賞、日本ダービー、菊花賞をすべて勝った。この三つを勝つことを競馬では「三冠」といい、ディープインパクトはそこまで一度も負けていない。ブラックタイドにもスプリングステークスを勝った実績があるが、二頭の競走成績は大きく違った。
親の名前は、走る馬を確実に当てる道具ではない。
ところが、兄の子と孫が走った
話はここで終わらない。
引退した馬のうち、体つきや親の実績を見込まれた一部は、子を残す役目に回る。この役目の馬を「種牡馬」といい、生まれた子を「産駒」という。ブラックタイドも、引退してその役目に就いた。
ブラックタイドの子としてキタサンブラックが生まれ、さらにキタサンブラックの子としてイクイノックスが生まれた。ブラックタイド、キタサンブラック、イクイノックスは、父から子へ三代でつながっている。
キタサンブラックはJRAの最上位の格付けであるGⅠを7勝した。その子のイクイノックスは、第3回で見た2022年の天皇賞(秋)で最後にパンサラッサを追い越して1着になり、2023年のジャパンカップでは2着に4馬身——およそ馬4頭ぶんの差をつけて勝っている。

サンデーサイレンス2000年9月、北海道勇払郡安平町早来の社台スタリオンステーション
Photo: はのい / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0(WebP変換と縮小のみ、トリミングなし。ブラックタイドとディープインパクトの父。)
走った記録を並べれば、弟のほうが圧倒的だった。それでも、いま日本の競馬でよく名前の出る一頭は、兄の子と孫のほうから出ている。親から子への伝わり方は、走った成績の順番どおりには進まない。
母の父の名前から、距離を疑われた馬
父だけでなく、母の父の名前もよく出てくる。母のほうから伝わる性質を見るためで、会話では「母父(ぼちち)」と縮めて言う。
キタサンブラックの母の父はサクラバクシンオーという馬で、短い距離を得意とする血筋として知られていた。そのため、キタサンブラックが長い距離を走れるかどうかは、走る前から疑われていた。JRAの公式記事も、母の父がサクラバクシンオーであることから距離への不安が囁かれた、と書いている。

キタサンブラック2015年2月22日、東京競馬場。デビュー間もない頃
Photo: Nadaraikon / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0(WebP変換と縮小のみ、トリミングなし。)
結果として、キタサンブラックは3,000メートルの菊花賞と3,200メートルの天皇賞(春)を勝った。見立ては外れた。
逆の例もある。オグリキャップは走っていたころにGⅠを4勝し、日本で生まれた馬としては当時いちばん高い評価を受けて子を残す役目に就いた。だが、その子からGⅠの勝ち馬は出ていない。
当たらないのに、なぜ話に出るのか
ここまで外れる例ばかり並べたが、親の名前の話が消えないのには理由がある。
ひとつは、当たることもあるからだ。サンデーサイレンスの子からは実際に多くの活躍馬が出ているし、キタサンブラックの子からはイクイノックスに続いて、2025年の日本ダービーを勝ったクロワデュノールも出ている。傾向がまったくないわけではない。
もうひとつは、親の名前が物語として働くからだ。走る前の馬について語れることは少ない。そこに父の名前があると、その馬が単独の存在ではなく、前後につながった何かの一部に見えてくる。弟のほうが圧倒的な戦績を残したのに、いま名前の出る馬は兄の子と孫だった、という話は、予想の役には立たないが、面白い。
だから、親の名前は予想の答えではない。その馬をどう見るかの、手がかりの一つである。
次の一歩
親が誰かは、その馬が生まれる前に決まっている。だが、生まれたあとに関わる人はもっと多い。牧場で育て、買い、預かり、調教し、乗る。
次は、一頭の馬がレースに出るまでに何人が関わっているのかを追う。上でも名前の出たキタサンブラック——生まれた牧場が、売り先を見つけられずにいた馬である。