この連載の目次(全8回・完結)
- 01プロ野球12球団は、なぜこんなに雰囲気が違うのか
- 02一試合の空気は、どこで変わるのか
- 03メジャーで活躍する日本人選手——誰が、どのチームにいる?
- 04プロ野球の一年は、いついちばん熱くなるのか
- 05球場は、座る場所と応援で別の場所になる
- 06甲子園の名前は、ドラフトのあとどう続くのかいまここ
- 07打率、本塁打、防御率——中継の数字はどこまで見ればいい?
- 08最終回——WBC決勝、大谷翔平とトラウトの最後の打席
夏になると、甲子園から高校野球の中継が流れる。地元の高校が勝ち上がると、普段は野球を見ない人まで結果を追う。だがそこで名前を覚えた選手が、プロでどうなるのかまで見届ける人は多くない。 高校での注目度と、プロでの時間の進み方は、必ずしも一致しない。

全国高等学校野球選手権大会 決勝のスコアボード2006年8月・阪神甲子園球場。第88回大会の決勝
出場校の選手名が縦に並ぶ表示。下のスタンドは埋まっている。
Photo: Ogiyoshisan / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0(リサイズ)
甲子園とドラフト——秋につながっている
まず、二つの行事を分けておく。
甲子園で行われる高校の全国大会は、春と夏の2回ある。春が選抜高等学校野球大会、夏が全国高等学校野球選手権大会で、どちらも阪神甲子園球場が会場になる。同じ球場が阪神タイガースの本拠地でもある(第5回)。
ドラフトは、その秋に行われる。正しくはドラフト会議といい、プロ球団が新人選手との交渉権を得るための選択会議である。12球団が欲しい選手の名前を出し、指名した選手と交渉する権利を得る。
ここに一つ、独特な仕組みがある。同じ選手を複数の球団が1位で指名した場合、抽選で交渉権を決める。 どの球団が引き当てるかは運で決まり、外れた球団はその場で別の選手を指名し直す。だから会議の当日は、指名が重なるたびに進行が止まり、抽選が行われる。
夏の甲子園で名前が知られた選手が、10月のドラフトで指名される。この二つがつながっているのは、そういう順番である。

高校野球の打席2007年7月・横浜スタジアム。神奈川県大会
バックネット裏の位置から見た打席。手前に防護ネットの網が重なる。
Photo: User:DX Broadrec / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0(リサイズ)
7球団が重なった年——清宮幸太郎
2017年10月26日のドラフトは、一人の選手の名前で始まった。
早稲田実業の清宮幸太郎である。1年生のときから3番・一塁で使われ、その夏には第97回全国高等学校野球選手権大会に出場して本塁打を2本打っている。高校通算111本塁打は、当時の最多記録だった(2023年に花巻東高校の佐々木麟太郎が更新している)。西東京大会では準々決勝の時点で神宮球場の内野席が埋まり、外野席が開放されたことも記録に残っている。
ただし3年の夏は、西東京大会の決勝で東海大菅生に敗れ、甲子園には出られなかった。 それでも注目は落ちず、ドラフト当日は7球団が1位で指名を重ねた。 ロッテ、ヤクルト、日本ハム、巨人、楽天、阪神、ソフトバンク。7球団競合は、高校生としては1995年の福留孝介と並ぶ最多だった。
抽選の結果、交渉権を得たのは北海道日本ハムファイターズである。
プロでの1年目は、そこから予想されるようには進まなかった。1月に右手を痛め、2月と3月にも体調を崩して開幕の一軍に入れず、二軍から始まっている。一軍でのデビューは5月2日。5月9日にプロ初本塁打を打ち、9月28日にはこの年7本目を放って、高卒新人の本塁打数で歴代9位に並んだ。それでもこの年の成績は、53試合出場・打率.200・7本塁打・18打点である。

清宮幸太郎2022年8月・京セラドーム大阪。北海道日本ハムファイターズ
ドラフトから5年後の打席。この年の背番号は21。
Photo: Orixbaseballclub / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0(リサイズ)
抽選を外した球団が、次に呼んだ名前——村上宗隆
同じ会議の同じ時間に、別の進路が決まっている。
清宮の抽選を外した球団のうち、ヤクルト・巨人・楽天の3球団は、次に九州学院の村上宗隆を指名した。ここでも3球団が重なり、抽選でヤクルトが交渉権を得ている。
村上の高校時代は、清宮とはだいぶ違う。1年の夏に熊本大会で優勝し、4番として甲子園に出た。だが初戦で無安打に終わって敗退し、甲子園に出たのはこの1回だけである。2年夏も3年夏も熊本大会の決勝で敗れた。高校通算本塁打は52本で、清宮の半分以下だ。1年秋からは捕手も務めている。
プロに入ってからの進み方が、ここで分かれる。1年目は主に二軍で、一軍に上がったのは9月16日。その日の初打席で本塁打を打っているが、一軍での安打はこの1本だけだった。二軍では打率.288、17本塁打、70打点を残している。
2年目の2019年、村上はチームで唯一、全143試合に出場した。 36本塁打・96打点は、どちらも高卒2年目以内のシーズン記録として日本記録を更新している。ただし同じ年、規定打席に届いた打者のなかで打率はリーグ最低の.231、三振は184でセ・リーグ記録だった。打つ数と外す数が、同時に記録になっている。
甲子園に出ていない4位指名——山本由伸
もう一人、まったく別の入り方をした選手がいる。
宮崎の都城高校にいた山本由伸は、甲子園に出ていない。 全国大会の中継で名前が流れることもなかった。
2016年のドラフトでの指名順位は4位である。担当していたスカウトの証言として残っているのは、3年の春に「足を怪我したので社会人に行くらしい」という情報が各球団に流れ、多くの球団が手を引いたという経緯だ。その中でこのスカウトは球団幹部を説得し、4位で指名にこぎつけた。契約金4000万円、年俸500万円。都城高校からプロ入りした選手は、22年ぶりだった。
その後の経歴は、指名順位からは読めない。2021年、山本は18勝5敗・防御率1.39・勝率.783・206奪三振で、投手の主要4部門すべてで1位に立った。防御率は9イニングあたりに平均で何点を許したかを示す数字で、小さいほど良い(第7回)。同じ年、その年で最も優れた投手に贈られる沢村賞を全会一致で受賞している。この沢村賞を、2021年から2023年まで3年続けて受けた。 3年連続の受賞は金田正一以来65年ぶり、史上2人目である。2022年と2023年には、2年続けてノーヒットノーラン——1本も安打を許さずに完投すること——も記録した。
2023年のオフ、山本はポスティング制度を使ってMLBへ移った。

山本由伸2019年9月・オリックス・バファローズ
4位指名から3年目。背番号43は入団時に与えられたもの。
Photo: Orixbaseballclub / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0(リサイズ)
高校の3年と、プロの十数年
三人の入り方を並べると、順番がそろっていない。
7球団が競合した選手は、1年目に53試合しか出ていない。その抽選から回ってきた選手は、2年目に全試合へ出て日本記録を作った。甲子園に出ていない4位指名の選手は、5年目に投手の4部門で1位になった。
これは「注目された選手が伸びない」という話ではない。高校の3年間で見えるものと、プロの十数年で起きることの範囲が違う、というだけである。 高校では最大でも3年、公式戦の数は限られている。プロでは同じ選手を10年以上見ることになり、けががあり、守備位置が変わり、打ち方が変わる。
夏に名前を覚えた選手がいるなら、その名前は10月のドラフトでもう一度出てくるかもしれない。そこから先は、高校野球の続きではなく別の時間が始まる。
夏の全国高等学校野球選手権大会は8月に阪神甲子園球場で行われる。地方大会は7月から各地で始まり、代表校が決まっていく。ドラフト会議は例年10月である。
中継や球場の掲示板に出る数字が何を測っているのかは、第7回で扱う。
※選手の経歴・記録は日本語版Wikipediaの各記事、大会・会議の枠組みはNPB公式および日本高等学校野球連盟公式(いずれも2026年8月17日確認)による。