この連載の目次(全6回・完結)
「この店の生、うまいな」——同じ銘柄のはずなのに、店によって一杯の印象がはっきり違う。ある店では泡がきめ細かく最後まで残り、別の店では大粒の泡がすぐ消えて、ぬるさが先に立つ。気のせいではない。生ビールの味は、樽が店に届いてからの温度、ガスの圧力、管の洗浄、グラスの状態、そして泡で変わる。メーカー各社は、その一つひとつに飲食店向けの基準を定めている。この記事では、その裏側を、ビアバーの扉を開けてから一杯を飲み終えるまでの順で説明する。

席に着く前に、黒板がある
クラフトビールを何種類も置く店——ビアバーの扉を開けると、たいてい最初に目へ入るのは、壁の黒板かカウンター上のメニューだ。ビールの名前がずらりと並んでいる。これがタップリスト。いま店の注ぎ口(タップ)につながっている樽の一覧である。

初めて見ると暗号めいているが、一行に書かれているのは実のところ数種類の情報だけだ。造り手の名前(ブルワリー)、その一杯の名前、スタイル、アルコール度数、そして量と値段。ブルワリー名は黒板のいちばん左に立ち、缶の裏の「製造者」欄と同じ役割を持つ。たとえば「ヤッホーブルーイング/インドの青鬼/IPA/7.0%」という一行なら、第2回で会ったあのIPAが、いまタップにつながっている——ということになる。造り手そのものの話は、第4回で扱う。
知らない名前が並んでいても、スタイルの欄は第2回とつながっている。ペールエール、IPA、ヴァイツェン、ラガー——第2回で会った言葉が、初めての店の黒板にも同じ意味で書かれている。ブルワリー名に聞き覚えがなくても、スタイル名は共通語である。
行の端の量と値段は、書き方が店ごとに違う。「S/M/L」の店もあれば、英国式に「パイント(約470ml前後)/ハーフ」で書く店もある。同じ値段でも指している量が違う、ということが店をまたぐと普通に起こる。
黒板に載る数字は2種類ある。ABVはアルコール度数のことで、缶の「アルコール分5%」と同じもの。第2回のインドの青鬼なら、7.0%がここに入る。銘柄によって数字の幅が広いので、この欄は缶の度数表示と同じ役割を果たしている。店によってはもう一つ、IBUという苦味の数字が書いてある。ホップ由来の苦味成分の濃度で、数字が大きいほど苦味成分が多い。ただし、麦の甘みやロースト香、炭酸の強さによって、同じ数字でも苦味の感じ方は変わる。苦さの点数ではなく、苦味成分の量の数字である。

小さいグラスという選択肢がある
ビアバーの提供の形には、基本の一杯(パイントなど)のほかに、小さめのグラスで出すハーフサイズを置く店もある。黒板の行の端に「S/M/L」や「パイント/ハーフ」と量の選択肢が書かれていたら、それである。
ビアフライトという提供の形もある。小さなグラスを数杯、木の台にひと組で載せて出すものだ。第2回の締めに載せた写真——色の違う小さなグラスが並ぶあの一組——が、まさにこれである。
注文が決まれば、あとは注がれるのを待つだけである。そのあいだ、カウンターの向こうでは次のことが起きている。
注ぎ口の向こうで、味は決まっていく
カウンターの向こうでは、ガスの圧力が樽からビールを押し出し、ビールは管を通り、タップから出てグラスへ注がれる。樽の温度、炭酸ガスの圧力、管とタップの洗浄状態、グラスに残った油分によって、炭酸の強さ、香り、泡の立ち方が変わる。

まず温度。樽を冷蔵庫で冷やす方式では、5℃前後が理想の目安になっている。
次にガス圧。樽の中のビールは炭酸ガスの圧力で押し出されてタップまで上がってくる。適正な圧力はサーバーの方式ごとに細かく決まっていて、泡の出方がおかしいときは、まずここが疑われる。
見えないところでは、管の洗浄がある。サーバーの中でビールは細い管を通る。飲食店向けの基準では、営業終了後に毎日水を通して洗い、週に一度はスポンジ状のボールを管に通して内側をこすり、接続部も定期的に分解して洗う。管に前日のビールが残っていれば、味はそこで変わる。
最後がグラスだ。グラスに油分が残っていると、泡がすぐ消える。洗い方は次の節でグラスの形とあわせて説明する。あなたの一杯は、この温度・圧力・管・グラスの条件を全部通ってから、タップを出てくる。
そしてこれは、ビアバーに限った話ではない。居酒屋の生ビールも、ビアホールの一杯も、同じ設備と同じ管理の上にある。
グラスの形にも、理屈がある
ビアバーでは、注文したビールごとに違う形のグラスが出てくることがある。これは飾りではない。ビールに向くグラスの目安は、直径1に対して高さ1.8〜2.2の、底に丸みのあるゆるやかな円筒形。背が高すぎると泡が立ちすぎ、低すぎると炭酸が抜けやすく泡が粗くなり、口の開いた形は泡持ちが悪くなる。形によって、泡と香りの出方が変わる。
ヒューガルデンの六角形、ギネスの専用パイントのように、銘柄が専用のグラスを持っている例もある(どちらも最終回で会う)。注文ごとに違うグラスが出てくる裏には、この形と泡・香りの関係がある。
グラスの管理も味のうちだ。油分が付いたままだと泡がもたないので、ビール用のグラスは専用のスポンジで洗い、布で拭かずに逆さにして自然乾燥させる。
泡が落ち着くまでの時間に、意味がある
ビールの泡は、炭酸ガスや香りが抜けるのを抑え、液体が空気に触れて酸化するのを防ぐ。グラスの上に載った蓋のようなもので、泡のない一杯は、飲んでいるあいだに炭酸と香りが逃げていく。ビールと泡の目安は7:3。注ぎ方には型があり、まず勢いよく注いで泡を立て、泡が落ち着くのを待ち、最後に静かに注いで泡の層を整える。泡が落ち着くのを待つ時間まで含めて、一杯の仕上げである。
泡は、味そのものにも働く。ホップの苦味成分の一部は泡へ移る。そのため、泡を立てた直後は、液体の苦味が少し弱く感じられる。泡へ移った苦味成分は、時間がたつと液体へ戻る。泡がある一杯は香りも逃げにくいため、飲み始めと後半で、苦味や香りの感じ方が変わっていく。
泡には、その一杯の状態も表れる。ぬるい樽、外れたガス圧、油膜の残るグラス——どの不調も、まず泡の立ち方と持ちに出る。もっとも、泡が良ければ全条件が整っていた、とまでは言えない。不調がまず泡に出やすい、という向きの話である。
ビアバーのタップリストは固定のメニューではない。黒板には、その時点で店から出せるビールが書かれている。樽が空けば、その銘柄は消え、新しい樽につなぎ替えると別の名前が加わる。そして「この店の生、うまいな」の一言の裏では、樽の温度管理と、ガス圧の調整と、毎晩の管の洗浄と、グラスの洗い分けが毎日続いている。
次回
タップの奥の樽には、造り手がいる。第4回では、よなよなエール、COEDO、常陸野ネスト、SPRING VALLEY——国産クラフトの4つの造り手が、それぞれどんな場所から始まって、いまの一本にたどり着いたのかを見る。