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TRAVEL神社系統図鑑天神

天神——菅原道真の墓所と、平安京の北野から

祀られているのは実在した菅原道真。墓所の上に築かれた太宰府天満宮と、947年に平安京の天門へ創建された北野天満宮。成り立ちの違う二つの中心と、江戸期に御神号の軸を通じて暮らしの近くで祀られた天神をたどる。

「◯◯天満宮」「◯◯天神社」に祀られているのは、実在した一人の人物である。平安時代の学者・政治家、菅原道真。全国およそ1万2000社の天満宮・天神社があり、太宰府天満宮(福岡)と北野天満宮(京都)が、それぞれ性格の異なる中心になっている。

HISTORY

成立と展開

道真は学者出身の政治家だった。幼少から学業に励み、和歌を詠み、漢詩を作った。899年(昌泰2年)に右大臣となり、左大臣・藤原時平と並んで国政を統括する。しかし901年(昌泰4年)、藤原氏の策謀により失脚し、大宰府へ下った。

太宰府天満宮は、道真の墓所の上に築かれている。門弟の味酒安行が埋葬の地に祀庿を造営し、延喜19年(919年)には勅命により社殿が造営された。道真の墓所として唯一無二の聖地とされ、全国およそ1万社の天満宮の総本宮にあたる。

北野天満宮は、947年(天暦元年)、神託により平安京の天門(北西)にあたる北野の地へ道真を祀って創建された。永延元年(987年)には一條天皇から「北野天満大自在天神」の御神号を賜り、1004年(寛弘元年)の行幸をはじめ代々の皇室の崇敬を受けている。

ON SITE

現地で確認できるもの

北野の地は、創建以前から神々が祀られ、大嘗祭のときには清めの儀式が行われるなど、祓いと浄めの聖地とされてきた場所である。天神信仰は、その土地の上に成立している。

北野天満宮は学問だけの社ではない。安土桃山時代、豊臣秀吉が境内一帯の松原で北野大茶湯を催し、出雲阿国が京で初めて歌舞伎踊りを演じた。文化芸能の神としても仰がれるのは、この歴史による。宝物には、草創の由来を描いた「紙本著色北野天神縁起絵巻・承久本」(国宝)がある。

江戸期の天神は、暮らしのすぐ近くにもいた。北野天満宮は、全国の寺子屋孔子像とともに、学問の神・書道の神として慕われた天神の「御神号」の軸が掛けられ、御神酒が供えられていたとも伝わる、と記す。御神号とは神としての名を書き表したもので、神の名を書き表すことで結縁を結ぶ意味があったとされる。そうした事情から、いまも全国各地に多くの御神号が残り、信仰の跡を見ることができる。ただしこれは信仰が生活へ浸透した一つの経路で、各地の天満宮・天神社の創建経路そのものではない。

NOT IDENTICAL

同じ名でも、異なる点

太宰府と北野は、どちらも天神信仰の中心だが、成り立ちが違う。一方は墓所の上に築かれた社、もう一方は都を護る位置へ創建された社である。中心が一つではないので、各地の天満宮がどちらと、どうつながるかも一様ではない。 それを確かめられるのは、その社の由緒だけである。

「天神だから受験」と社名だけで決めるのは、この信仰の広がりを取りこぼす。学問、文化芸能、厄除け——どの面が強く伝わってきたかは、社によって違う。