「◯◯稲荷神社」「お稲荷さん」の名を持つ社は、全国に三万社あるといわれる。総本宮は京都市伏見区の伏見稲荷大社。稲荷大神がこの地に鎮座したのは、奈良時代の和銅4年——711年、2月の初午の日と伝えられ、そこから数えて2011年に鎮座1300年を迎えた。
成立と展開
この信仰の原点は、社殿ではなく稲荷山そのものにある。公式の説明も「稲荷信仰の原点が、稲荷山であります」と記す。境内の奥から山へ登る参道が続き、その先にあるのは山である。
祀られる神は、時代を通じて「衣食住ノ太祖ニシテ萬民豊楽ノ神霊ナリ」と称えられてきた。五穀豊穣、商売繁昌、家内安全、諸願成就——求められるものが時代とともに増えていったのが、この信仰の特徴である。
伏見稲荷大社は自らを「庶民の信仰の社」と位置づけている。国家の祭祀から始まった信仰とは、広がり方の性格が違う。
各地へは、勧請という形で渡った。同社が挙げる最も古い例は、宮城県の竹駒神社(弘仁年間・810〜824年、小野篁)と岩手県の志和稲荷神社(1057年、源頼義・義家)。同社に伝わる見解では、建久5年(1194年)の勅許以降、社司が一子相伝の修法をもって神体を授け、「正一位」の神階を書き加えたという。江戸中期には、政治・交通・経済の動きにのって全国へ浸透した。
現地で確認できるもの
伏見稲荷大社で最も知られるのは、山へ向かって連なる鳥居である。だがこの参道は展望のための道ではなく、稲荷山という信仰の原点へ向かう道として続いてきた。社殿で引き返さず山へ入ると、この信仰が何を中心に置いてきたかが分かる。
境内と山中には、狐の像が多く置かれている。稲荷大神の神使として扱われるもので、神そのものではない。
同じ名でも、異なる点
稲荷を名乗る社は数が多く、成立の事情も土地ごとに違う。伏見から正式に神体を授かった社と、そうでない経緯で祀られた社が混在している。 江戸中期の記録には、本社以外の者が勧請した例や、狐の穴を起こりとして祀られた例が「正当な稲荷信仰とは違う祀られ方」として残されている。
祀られ方も一様ではない。企業の敷地や建物の屋上にある稲荷もあれば、農村の田の傍らに古くから続く稲荷もある。「稲荷だから商売繁昌」と社名だけで決めることはできない。 その社の由緒書きを読むと、土地ごとの事情が見えてくる。