「◯◯八幡宮」「◯◯八幡神社」の名を持つ社は、全国に四万社あまりと伝えられる。総本宮は大分県宇佐市の宇佐神宮。祀られているのは一之御殿から順に八幡大神・比売大神・神功皇后の三柱で、八幡大神は第15代応神天皇の神霊とされる。神功皇后は応神天皇の母にあたる。
成立と展開
社伝では、八幡大神が宇佐の地に現れたのは571年。現在の小倉山に社殿が造られたのは725年(神亀2年)である。皇室からは伊勢の神宮に次ぐ第二の宗廟として崇敬された。
早くから国家の事業に関わった神で、奈良・東大寺の大仏建立への協力と、和気清麻呂に与えたとされる神教が知られる。
859年(貞観元年)、僧・行教が宇佐で受けた託宣に従い、京都・男山の峯へ神霊を奉安したのが石清水八幡宮。天皇の行幸と上皇の御幸は240余度に及び、伊勢の神宮とともに二所宗廟と称された。
東北の平定を果たした源頼義が、その帰路、鎌倉の由比郷へ源氏の氏神である石清水八幡宮を勧請。1180年(治承4年)、子孫の源頼朝が鎌倉に入ったときに現在地へ遷し、1191年(建久2年)に上下両宮の配置となった。これが鶴岡八幡宮である。
現地で確認できるもの
宇佐神宮の正参道の西側は、かつて弥勒寺の境内だった。725年に東方の日足の地へ置かれた弥勒禅院が、738年(天平10年)に金堂・講堂を備え、聖武天皇の援助を受けて整えられたものである。発掘により、金堂の前に東塔と西塔を並べる、奈良の薬師寺と同じ配置だったことが確認されている。呉橋を渡った西参道の南側には、その寺跡が保存されている。
宇佐の重要な祭礼放生会は、隼人の反乱を鎮めた戦いで殺生の罪を悔いた八幡神が仏教に救いを求めたことに由来すると伝えられる。神と仏が結びついた歴史が、祭礼の形で残っている。
同じ名でも、異なる点
各地の八幡宮が、宇佐と同じ三柱を同じ配置で祀っているとは限らない。石清水は宇佐から神霊を迎えたうえで、国家鎮護の社として独自の歴史を積み、鶴岡八幡宮も鎌倉の中心に据えられて別の歩みをした。
また、宇佐→石清水→鎌倉は代表的な一経路であって、全国共通の道筋ではない。石清水から迎えた社、鎌倉から迎えた社、武家が本拠地へ勧請した社、寺が迎えた社——どこから来たかは社ごとに違う。
社名から祭神やご利益を確定することはできない。境内の由緒書きや公式の案内を読むほうが確実である。