パリ郊外の介護施設で、施設長のマリー=ルーは、入居者を人間らしく扱う介護を根づかせようとして、現場の反発と人手不足に行き当たっている。そこへ、日本から来た演出家の真理が現れる。真理は末期のがんを抱えている。事件はほとんど起きない。動くのは会話のほうである。3時間16分のあいだ、二人は話し続け、話しているうちに距離が変わっていく。
ひとことで言うと
介護の現場を変えようとしている女性と、余命の限られた演出家が、偶然に出会う。二人は数日のあいだ濃い時間を過ごす。
映画が扱うのは、その数日のあいだに交わされた会話である。介護で何ができるのか、その手前にある社会の仕組みはどうなっているのか。話は具体的な現場から始まって、次第に広い問いへ移っていく。
登場人物
| 人物 | まず覚えること |
|---|---|
| マリー=ルー・フォンテーヌ(ヴィルジニー・エフィラ) | パリ郊外の介護施設の施設長。認知症の入居者に対して、人間らしく接する介護の技法を根づかせようとしている |
| 森崎真理(岡本多緒) | 日本から来た演劇の演出家。哲学の素養があり、末期のがんを抱えている |
映画が追うのは、この二人である。真理の劇には俳優の清宮吾朗(長塚京三)と、その孫の智樹が出ており、二人が出会うきっかけもそこにある。
ネタバレなしの始まり
マリー=ルーは、介護の技法を職員に習得させようとしている。相手の存在を認めながら接し、できるだけ立って歩いてもらう、という考え方の技法である。だが現場は人手が足りず、古くからいる看護師のソフィーは訓練を受けようとしない。職員が辞め、ソフィーも辞めると言い出したところで、マリー=ルーは行き詰まる。
ある日、職場を出たマリー=ルーは、路面電車の横を走っていく日本人の男性を見かけて後を追う。公園でその人の付き添いを待っていると、迎えに来たのが演出家の真理だった。真理は、自分の劇のパンフレットを手渡す。
マリー=ルーはその劇を観に行く。上演後の質疑応答で、真理は自分が病を抱えていることを話す。
なぜ話題になったか
監督・脚本は濱口竜介で、フランス語で撮った初めての長編である。日本・フランス・ベルギー・ドイツの共同製作、上映時間は3時間16分。原作は宮野真生子・磯野真穂の往復書簡の書籍だが、公式は「主人公をフランス人と日本人に置き換え、まったく新たな物語」と記している。
2026年のカンヌ国際映画祭でコンペティション部門に選出され、5月15日に世界初上映された。濱口にとって3度目のコンペティション部門への選出である。日本での公開は6月19日。
どこが面白いのか
会話が、要点を過ぎても続く
説明のために話しているのではないので、話が済んでも場面が切り替わらない。その時間に付き合っているうちに、二人の関係のほうが変わっていく。台詞はフランス語が中心だが日本語の場面もあり、エフィラは日本語を、岡本と長塚はフランス語を話す。言葉が行き来すること自体が、二人の距離の変化として働く。
介護の現場が、具体的に映る
抽象的な議論から始まるのではなく、職員が足りない、技法を覚える時間がない、という現場の事情から入る。
マリー=ルーと真理の会話は、介護施設の外へ場所を移しながら続く。※壁の内側は結末を含みます。
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