この連載の目次(全8回・完結)
- 01美術館巡りは、何を楽しんでいるのか
- 02西洋絵画の展示室で、何が変わってきたのか
- 03宗教画は、登場人物と場面が分かると読める
- 04ルネサンスとバロックは、静けさと動きで見分ける
- 05印象派——モネの水面、ルノワールの室内、ドガの稽古場
- 06日本美術は、余白と視線の移動から見る
- 07現代アートの展示室では、何が作品なのかいまここ
- 08美術展は、作品の並び順まで面白い
現代アートの展示室に入ると、壁に掛かった絵や台に載った彫刻が見つからないことがある。部屋が暗くて映像が流れている。床一面に同じ物が敷き詰められている。誰かが立ったまま何かを続けている。そこでは、物の形だけでなく、置かれた場所、続いている時間、観客である自分の位置までが作品に含まれていることがある。
素材、場所、行為、背景の四つが作品を成り立たせる
| 作品を成り立たせる条件 | 展示室で見えること |
|---|---|
| 素材 | 何でできているか。既製品をそのまま使っているか、加工されているか。同じ物が大量にあるか |
| 場所 | どの部屋に、どう置かれているか。壁か、床か、天井か。部屋の広さ、明るさ、音が作品に含まれているか |
| 行為 | 誰かが何かをし続けているか。観客が入る、触れる、歩くことで初めて成立するか。時間の長さが決まっているか |
| 背景 | いつ、どこで作られたか。何に反応した作品か。札や解説に書かれている制作の事情 |
四つ全部がそろっている作品もあれば、一つだけで成り立つ作品もある。
現代アートの札には、素材の欄に見慣れない言葉が並ぶことがある。「ミクストメディア」「サウンド・インスタレーション」「シングルチャンネル・ビデオ」。これは、その作品が何でできているかの説明である。映像なら上映時間も書いてある。20分と書いてあれば、その20分が作品の長さだ。
デュシャン——作る技術より、選び置く行為を作品へ入れる
1917年、マルセル・デュシャンは工業製品の便器を《泉》として提示した。この作品を「便器を美しいと主張した」とだけ理解すると狭い。
既製の日用品が、作家の選択と提示によって美術の側へ移される。こうした作品はレディメイドと呼ばれる。ここで見えているのは手作業の巧さではなく、選択、題名、署名、そしてそれを展覧会へ出したという行為である。
《泉》は1917年4月、アンデパンダン展(Society of Independent Artists 第1回展)へ出品され、展示を決める委員会に拒まれた。 原品はその後まもなく失われ、現在各館にあるのは後年に作られた複製である。フィラデルフィア美術館にあるものは1950年、デュシャン自身が中古の便器を買わせ、当初の書き込みを入れ直したものだ。
つまり、いま展示室で見ているのは1917年の「その物」ではない。それでもこの作品が置かれ続けているのは、拒んだ側の判断まで含めて、作品の問いが成り立っているからである。
「自分にもできる」は一つの入口になる。次は「同じ物を今日置けば同じ作品になるか」と考える。作りやすさと、同じ歴史的行為を再現できるかは別である。
アイ・ウェイウェイ——一粒の素材と、膨大な労働の関係を見る
テート・モダンのタービン・ホールに設置された《サンフラワー・シーズ》は、磁器で作られ、手で彩色された大量の「ひまわりの種」からなる。遠くからは均質な灰色の面に見え、近くでは一粒ずつ形と筆跡が違う。
素材は磁器であり、制作には景徳鎮の職人たちが関わった。作品を見る入口は「本物の種に見える」という技巧だけではない。大量生産に見えるものが手作業で作られ、個体差を持つこと。個人と集団、工芸と産業、作者と制作労働の関係が、一粒と全体の距離に現れる。
この作品は、全景と一粒のどちらか片方だけでは尺度がつかめない。 遠くから見た均質な灰色の面と、しゃがんで見る一粒の筆跡。その二つの距離を往復することが、そのまま作品を見ることになる。
オラファー・エリアソン——光と霧が、観客のいる空間を変える
《ウェザー・プロジェクト》は、2003年にテート・モダンのタービン・ホールで発表された。半円形の光源、鏡、霧によって巨大な太陽のような像と、観客自身の反射が空間に現れた。
この作品は、光る半円だけを切り取ると小さくなる。高い天井、広いホール、霧、鏡、床へ集まる観客の行動までが、経験を成立させる。別の部屋へ同じ照明器具を置いても、同じ作品経験にはならない。
場所を見るというのは、天井の高さ、入口からの距離、音、光、そこに人がどれだけ留まるかが、経験を何に変えるかを見るということである。この展示では、床に寝転んで天井の鏡に映る自分たちを見上げる人が大勢いた。その光景まで含めて、作品が置かれていた状態だった。
マリーナ・アブラモヴィッチ——座り続けた時間と対面が作品になる
2010年のMoMAで、マリーナ・アブラモヴィッチは開館中、アトリウムに座り、順番に向かい合う来場者と無言で視線を交わした。《The Artist Is Present》では、作家の身体、来場者の参加、待つ時間、対面の持続が作品を成立させた。
後から残る写真や映像は重要な記録だが、起きた行為そのものと同じではない。主役だったのは椅子でも写真でもなく、誰かが座って向かい合っていた時間である。現代美術では、目の前の物が作品なのか、過去の行為の記録なのか、再演なのかを分けて考える必要がある。
行為を使う作品は、観客の安全や同意、再演の条件も含む。強い逸話だけを消費せず、誰が何を引き受けたかを見る。
首都圏で、こうした展示に出会える場所
これらは海外での事例だが、同じ種類の展示は首都圏でも組まれてきた。
東京都現代美術館(清澄白河)は、収蔵作品による展示と大規模な企画展の両方を行う。地下二階に広い企画展示室を持ち、部屋そのものを使う作品が置かれることも多い。本節で扱ったエリアソンも、2020年にこの館で「オラファー・エリアソン ときに川は橋となる」という個展が開かれている。
森美術館(六本木)は、日本を中心にアジア太平洋地域の現代アートを収集するコレクションを持ち、あわせてテーマを立てた企画展を組む。所蔵作品は「MAMコレクション」として展示される。
横浜美術館は、開港以降の近現代美術を扱う所蔵品を持ち、現代アートの企画も並べて見せる。「横浜トリエンナーレ」の主会場の一つとしても使われてきた。2024年の第8回は、この館と市内の他会場で開かれた。
どの館で、いまどんな展示が開かれているかは会期によって変わる。開催中のものは美術ジャンルのトップにまとめてある。
分からない部屋に入ったときに、見るもの
現代アートの部屋で手が止まったら、意味を先に決めようとせず、その場で確かめられることから見る。
何が、どれだけあるか。 一点なのか、大量にあるのか。大きいのか、手のひらに載るのか。
部屋がどうなっているか。 明るいか暗いか。音がするか。壁は何色か。床に何か敷いてあるか。
自分がどこに立っているか。 作品の外から見ているのか、中に入っているのか。動くと見え方が変わるか。
札に何が書いてあるか。 素材の欄、制作年、上映時間、所蔵。「ミクストメディア」なら複数の素材が使われている。上映時間が書いてあれば、それが作品の長さである。
これで作品の意味が決まるわけではない。ただ、その部屋で何が起きているのかは、確実に分かる。 現代アートの展示室では、そこが出発点になる。