大人男子の趣味教養OTONA DANSHI NO SHUMI-KYOYO

FILM映画ブリーフィング『怪物』

『怪物』——同じ出来事が三度見えると、悪者が消えていく

『怪物』を未見でもつかめるよう、早織、保利、湊の三つの視点、学校で起きた出来事、見え方が反転する面白さをネタバレなしで整理する。

小学生の湊が、急におかしな行動を始める。母の早織は、担任の保利先生が息子へひどい言葉を投げたと知り、学校へ説明を求める。校長たちは頭を下げるが、答えはかみ合わない。『怪物』は、悪い教師を見つける映画として始まる。しかし、同じ日々を母、教師、子どもの側から見直すと、事実は同じでも、誰を怪物だと思うかが変わる。その構造を持つ映画だ。

IN ONE LINE

ひとことで言うと

息子の湊が傷を負い、教師から侮辱されたと話す。母の早織は学校へ抗議し、担任の保利を追及する。だが、物語は途中で時間を戻し、同じ出来事を保利の側、湊の側から見せ直す。

見る位置が変わるたびに、それまで悪者に見えた人の事情が出てくる。同時に、最初の視点では画面に出ていなかった子どもどうしの関係が現れる。同じ出来事が、三度別の形で見えることになる。

THE PEOPLE

登場人物

人物まず覚えること
麦野早織湊を一人で育てる母。息子の傷と異変を見て学校へ向かい、納得できる説明を求める
保利道敏湊の担任。最初は子どもを傷つけた教師に見えるが、本人の視点では別の出来事が起きている
麦野湊早織の息子。言動が不安定になり、母や教師へ本当の気持ちを説明できないでいる

最初は、息子を守ろうとする早織、責められる保利、何かを隠す湊の三人だけ分かればよい。

THE START

ネタバレなしの始まり

早織は、湊が水筒へ泥を入れたり、自分の髪を切ったりすることに気づく。湊は、保利から自分の脳を侮辱する言葉を言われたと話す。早織が学校へ行くと、校長と教員たちは用意されたような謝罪を繰り返し、何があったのか説明しない。

ここまでは、母と学校の対立に見える。ところが映画は時間を戻し、保利が見ていた教室と家庭を映す。さらに子どもの視点へ移ると、大人が問題だと思っていた行動に別の理由が見えてくる。

WHY PEOPLE KNOW IT

なぜ話題になったか

是枝裕和監督の『怪物』は、坂元裕二が脚本を担当し、坂本龍一が音楽を手がけた。2023年のカンヌ国際映画祭で、坂元の脚本が脚本賞を受賞した。

話題の中心は、一つの事件を三つの視点で反復する構造にある。二度目、三度目に同じ場面が出てくるとき、台詞も行動も変わっていないのに、意味が変わる。観客は、一度目に自分が誰を悪者だと思ったかを、そのつど確かめ直すことになる。

WHAT MAKES IT

どこが面白いのか

同じ場面が、別の感情に見え直す

母の側では冷たい謝罪、教師の側では混乱、子どもの側では隠したい事情。同じ廊下や教室を通るたび、前に見た場面の意味が変わる。

大人の言葉が、子どもの内側へ届かない

母も教師も湊を心配している。しかし「何があった」と聞く言葉では、湊が恐れていることに届かない。善意があることと、相手を理解できることは別だと見せる。

音と場所が、説明より先に関係を伝える

管楽器の音、火事、線路、廃車両、雨。繰り返し出る音と場所が、湊の内側と、もう一人の少年との時間をつないでいく。

ここから先は、子どもたちの関係、物語の転換と結末に触れます。 未見で後半を知りたくない場合は、ここで止めてください。

THE TURN

物語の転換

保利が問題の原因だという見方は崩れる。湊が気にかけているのは、同級生からいじめられる星川依里である。二人は廃線の車両を秘密の場所にし、一緒に過ごしている。湊は依里への感情と、自分が周囲の期待する「普通」と違うかもしれない不安を言葉にできない。

保利は二人の関係と、自分が誤解されていた理由に気づく。台風の夜、湊と依里は廃車両へ向かう。早織と保利は二人を探し、土砂でふさがれた場所へたどり着く。

THE ENDING

結末

台風のあと、湊と依里は倒れた車両の窓を開け、外へ進む。映画は、救出の手順や大人との再会を長く説明しない。場面は晴れた草地へ移り、二人は閉じていた柵の先を走っていく。

その光景を現実の続きと見るか、二人の解放を示した像と見るかは、画面だけでは一つに固定されない。走り出す前、二人は「生まれ変わったのか」と言葉を交わし、何も変わっていない、元から同じだと確かめ合う。

KEY SCENES

重要な場面

  1. 学校の謝罪
    校長たちが頭を下げても、早織の質問には答えない。組織の謝罪と、相手の知りたい事実がずれていく。
  2. 時間が戻る火事の夜
    冒頭で見た火事を別の人物の側から見る。映画が同じ時間を見直す構造だと分かる。
  3. 廃車両の秘密基地
    湊と依里が、大人や同級生の言葉から離れて過ごす。台詞で関係を語らせず、遊びと音だけで見せる場面が続く。
  4. 晴れた草地
    台風の暗さから一転し、二人が走る。閉じていた境界を越える像が、物語の最後に残る。
WHAT PEOPLE DISCUSS

よく語られる論点

怪物は誰なのか

教師、母、子ども、校長と、見る位置によって疑われる人が変わる。三つの視点を通しても、映画は誰が怪物だったかを明示しない。題名が指しているものについては、公開当時から複数の読み方が並んでいる。

校長は冷たい人なのか

校長は学校で機械的に謝罪する一方、自分にも大きな喪失がある。湊と管楽器を吹く場面では、言葉で説明させずに感情を外へ出す方法を渡す。

最後の草地は現実なのか

映画は現実と幻想の境界を明示しない。二人の生死を確定させる情報も画面には出てこない。分かるのは、二人が自分たちは元から同じだと確かめ合い、閉じていた柵の先へ走っていく像で映画が終わる、ということである。